2008年10月10日
心に残る言葉2
どうも~、きゃっするです。
今週も先週に引き続き、心に残る言葉をお送りしたいと思います。
小学校2年生ではじめたサッカー。
「プロサッカー選手になる!」という夢を持ち、サッカー漬けの毎日を送っていました。
あれは確か、小学校5年生の時だったでしょうか。
何かの大会で、当時の室蘭大谷高校サッカー部監督、故高橋正弘先生に声をかけられたのです。
「おい、京谷!お前、絶対に室蘭大谷に来るんだぞ~」と、暖かく、大きな手で頭を撫でられながら、そう言われたのです。
高橋先生は何気なく言ったのかもしれませんが、その時のきゃっするは、嬉しくて嬉しくて。。
家に帰ってから親に、
「今日、室蘭大谷の高橋監督に、室蘭大谷に来いよって言われた!!!」と興奮気味に話したことを今でも覚えています。
その頃から、室蘭大谷を意識し始めて、
6年生の時には、「室蘭大谷に行ってプロサッカー選手になりたい」と言っていましたからね。
そして、あの時の高橋先生の言葉通り、きゃっするは室蘭大谷に行くことになったのです。
中学校3年の進路を決める時期になっても、きゃっするの頭の中は室蘭大谷しかありませんでした。
3者面談の時も、「俺は、室蘭大谷(私立)行くから、公立高校は受けない!」と担任を困らせたし、
親にも、「私立はお金かかるから」と言われたんですが、
「特待生で、1年生からレギュラーで10番つけられなかったら、俺はサッカー辞める!」と
啖呵まできりました。
そこまでして、室蘭大谷に行きたかったのは、やっぱり、高橋先生の一言があったからなのです。
何気ない一言が、一人の人間の人生を変えるんですから、言葉というのは重いですねぇ~。
余談ですが、3者面談の時に、担任の先生にこう言われました。
「お前ね、サッカーで飯食って行けるわけないだろう?もう少し現実見たほうがいいぞ~」と。。
この言葉にカチンと来たきゃっするは、担任に向かって、「絶対にサッカーで飯食ってやる!」と
言い返してやったのです。
当時、日本にはプロリーグ(Jリーグ)はなく、まったく根拠は無かったのですが、
自分の夢を否定され、頭にきたんです。
それから数年後、その担任にあった時、「お前もこれで、サッカーで飯食っていけるな。。」と・・・
ある意味、この担任の言葉も、心に残る言葉ですけどね(笑)
みなさんにも、心に残る言葉はあるんじゃないですか?
もし無かったとしても、これから絶対に人生を変えるような言葉と出会うはずです!
日々の生活から、言葉との出会いを意識してみて下さい。。。
今週も先週に引き続き、心に残る言葉をお送りしたいと思います。
小学校2年生ではじめたサッカー。
「プロサッカー選手になる!」という夢を持ち、サッカー漬けの毎日を送っていました。
あれは確か、小学校5年生の時だったでしょうか。
何かの大会で、当時の室蘭大谷高校サッカー部監督、故高橋正弘先生に声をかけられたのです。
「おい、京谷!お前、絶対に室蘭大谷に来るんだぞ~」と、暖かく、大きな手で頭を撫でられながら、そう言われたのです。
高橋先生は何気なく言ったのかもしれませんが、その時のきゃっするは、嬉しくて嬉しくて。。
家に帰ってから親に、
「今日、室蘭大谷の高橋監督に、室蘭大谷に来いよって言われた!!!」と興奮気味に話したことを今でも覚えています。
その頃から、室蘭大谷を意識し始めて、
6年生の時には、「室蘭大谷に行ってプロサッカー選手になりたい」と言っていましたからね。
そして、あの時の高橋先生の言葉通り、きゃっするは室蘭大谷に行くことになったのです。
中学校3年の進路を決める時期になっても、きゃっするの頭の中は室蘭大谷しかありませんでした。
3者面談の時も、「俺は、室蘭大谷(私立)行くから、公立高校は受けない!」と担任を困らせたし、
親にも、「私立はお金かかるから」と言われたんですが、
「特待生で、1年生からレギュラーで10番つけられなかったら、俺はサッカー辞める!」と
啖呵まできりました。
そこまでして、室蘭大谷に行きたかったのは、やっぱり、高橋先生の一言があったからなのです。
何気ない一言が、一人の人間の人生を変えるんですから、言葉というのは重いですねぇ~。
余談ですが、3者面談の時に、担任の先生にこう言われました。
「お前ね、サッカーで飯食って行けるわけないだろう?もう少し現実見たほうがいいぞ~」と。。
この言葉にカチンと来たきゃっするは、担任に向かって、「絶対にサッカーで飯食ってやる!」と
言い返してやったのです。
当時、日本にはプロリーグ(Jリーグ)はなく、まったく根拠は無かったのですが、
自分の夢を否定され、頭にきたんです。
それから数年後、その担任にあった時、「お前もこれで、サッカーで飯食っていけるな。。」と・・・
ある意味、この担任の言葉も、心に残る言葉ですけどね(笑)
みなさんにも、心に残る言葉はあるんじゃないですか?
もし無かったとしても、これから絶対に人生を変えるような言葉と出会うはずです!
日々の生活から、言葉との出会いを意識してみて下さい。。。
2008年10月03日
心に残る言葉
どうも、きゃっするです。
北京へ出発する日、偶然にも成田空港で、ワールドカップアジア最終予選を戦うサッカー日本代表と遭遇しました。
新聞等でも大きく取り上げられましたが、岡田監督(岡さん)と何年かぶりに再会したのです。
ホント久しぶりに会ったのに、なぜかそんな感じはしなかったんですよね。
多分、テレビや新聞でいつも見ていたからだと思います。。(笑)
そんな岡さんから、古河電工時代に言われた言葉がきっかけで、きゃっするは人生のどん底から
這い上がってきたのです。。。
きゃっするが古河電工に入ると同時に、岡さんは現役を引退し、そのままコーチになったのです。
その当時、きゃっするは、日本ユース代表(20歳以下代表)とバルセロナ五輪代表(23歳以下代表)候補に選ばれていました。
きゃっするのサッカー人生で最も輝いていた時期だったかもしれません。
そんなある日、ロッカールーム前で、岡さんにこう言われたのです。
「お前、今はユースやバルセロナ候補という明確な目標があるけど、それはいずれ解散するんだぞ。
その先の目標・その先の夢を持ってないとあとで大変だぞ!」と。。
20歳そこそこの若造だったきゃっするは、その言葉を聞いて、、、
「うるせ~な!」と心の中で思っていましたけどね。。(笑)
その後、ユース代表がアジア最終予選で破れ解散、バルセロナ五輪候補も怪我で落選。。
Jリーグが開幕しても、怪我でサテライト(2軍)からのスタート。
その当時を振り返ってみても、全く、夢や目標を持っていなかったような気がします。
ただ目の前にあるものを一つずつクリアしていた、そんな毎日を過ごしていましたね。
そして、あの交通事故が。
入院中、今までの事やこれからの事、本当にいろんな事を考えていました。
なぜ、こんな風になってしまったのか?サッカー時代、何が良くて何が悪かったのか?など、
冷静になっていろいろ考えました。
プロサッカー選手になりたくて続けてきたサッカー。その時は、夢と希望に向かって走っていました。
どんな時でも目標を持ってやっていました。それが、プロサッカー選手になった途端、夢や目標を見失ってしまったのです。
「燃え尽き症候群」ってやつですね。
もし、あの時、自分に新たな夢や目標があったら・・・・
そんな時、ふと、岡さんの言葉を思い出したのです。
「これからの夢・目標を持っていないと大変だぞ。」という、あの言葉を。。
そして気づいたのです。
自分には夢や目標がないとダメなんだと。これからはどんな時でも夢や目標を持ち続けよう、そう思ったのです。
あの時は、「うるせ~な!」と思っていた言葉が、実は、しっかりと胸の奥に残っていたんですね。
車椅子のJリーガーという本を出版する際、岡さんに帯表紙に出てほしいとお願いの電話をした時、この話をしたんです。
そしたら、「俺、そんな事言ったっけ???」と全く覚えていない様子でした(笑)
それでも、今のきゃっするがあるのは、岡さんの言葉のおかげです。
これからも、夢や目標を持つことが、どれだけ大切で、どれだけ楽しくて幸せになれるかを、
自分の経験を元に多くの人達に伝えて行きたいと思っています。。
それがきゃっするの役目でもありますから!
次回も、きゃっするの心に残った言葉をお伝えしたいと思います。
北京へ出発する日、偶然にも成田空港で、ワールドカップアジア最終予選を戦うサッカー日本代表と遭遇しました。
新聞等でも大きく取り上げられましたが、岡田監督(岡さん)と何年かぶりに再会したのです。
ホント久しぶりに会ったのに、なぜかそんな感じはしなかったんですよね。
多分、テレビや新聞でいつも見ていたからだと思います。。(笑)
そんな岡さんから、古河電工時代に言われた言葉がきっかけで、きゃっするは人生のどん底から
這い上がってきたのです。。。
きゃっするが古河電工に入ると同時に、岡さんは現役を引退し、そのままコーチになったのです。
その当時、きゃっするは、日本ユース代表(20歳以下代表)とバルセロナ五輪代表(23歳以下代表)候補に選ばれていました。
きゃっするのサッカー人生で最も輝いていた時期だったかもしれません。
そんなある日、ロッカールーム前で、岡さんにこう言われたのです。
「お前、今はユースやバルセロナ候補という明確な目標があるけど、それはいずれ解散するんだぞ。
その先の目標・その先の夢を持ってないとあとで大変だぞ!」と。。
20歳そこそこの若造だったきゃっするは、その言葉を聞いて、、、
「うるせ~な!」と心の中で思っていましたけどね。。(笑)
その後、ユース代表がアジア最終予選で破れ解散、バルセロナ五輪候補も怪我で落選。。
Jリーグが開幕しても、怪我でサテライト(2軍)からのスタート。
その当時を振り返ってみても、全く、夢や目標を持っていなかったような気がします。
ただ目の前にあるものを一つずつクリアしていた、そんな毎日を過ごしていましたね。
そして、あの交通事故が。
入院中、今までの事やこれからの事、本当にいろんな事を考えていました。
なぜ、こんな風になってしまったのか?サッカー時代、何が良くて何が悪かったのか?など、
冷静になっていろいろ考えました。
プロサッカー選手になりたくて続けてきたサッカー。その時は、夢と希望に向かって走っていました。
どんな時でも目標を持ってやっていました。それが、プロサッカー選手になった途端、夢や目標を見失ってしまったのです。
「燃え尽き症候群」ってやつですね。
もし、あの時、自分に新たな夢や目標があったら・・・・
そんな時、ふと、岡さんの言葉を思い出したのです。
「これからの夢・目標を持っていないと大変だぞ。」という、あの言葉を。。
そして気づいたのです。
自分には夢や目標がないとダメなんだと。これからはどんな時でも夢や目標を持ち続けよう、そう思ったのです。
あの時は、「うるせ~な!」と思っていた言葉が、実は、しっかりと胸の奥に残っていたんですね。
車椅子のJリーガーという本を出版する際、岡さんに帯表紙に出てほしいとお願いの電話をした時、この話をしたんです。
そしたら、「俺、そんな事言ったっけ???」と全く覚えていない様子でした(笑)
それでも、今のきゃっするがあるのは、岡さんの言葉のおかげです。
これからも、夢や目標を持つことが、どれだけ大切で、どれだけ楽しくて幸せになれるかを、
自分の経験を元に多くの人達に伝えて行きたいと思っています。。
それがきゃっするの役目でもありますから!
次回も、きゃっするの心に残った言葉をお伝えしたいと思います。
2008年09月26日
北京から帰って来ましたよ~~
どうも、きゃっするです。
北京から無事に帰って来ましたよ~~~!
北京に行く前から、日本で色々報道されていましたが、それほど不便なことも無く、
快適に過ごせました。
ただ、やっぱり空気がねぇ~~。
きゃっするは、気管支が弱いので、すぐに喉が反応するんですよ。
試合会場の体育館、練習会場の体育館では、咳にならない咳?を何度もしていました。
そして、その後に必ず頭痛が。。。でも、意外と外は大丈夫でしたけど。。なぜかな??
食事は選手村内での食堂で取っていましたが、こちらは何の問題もありませんでした。
というか、凄く美味しかったですよ。
きゃっするが好んでよく食べたのは、スモークチキン。
これをサラダの上に乗せて食べるんです。しかも持参したポン酢をかけてね。。
あとは、シュウマイとか、北京ダックとかもよく食べましたね。
でも、試合期間中は体重オーバーにならないように、野菜中心で過ごしていました。
そのせいか、帰国後の体重が1㎏近く減っていましたよ(驚)
あとは、マクドナルドにマックカフェも利用しましたねぇ。
マクドナルドではマックサラダを、マックカフェではアイスコーヒーをよく頼みました。
一度だけ外にご飯を食べに行ったのですが、選手村の方が美味しかった気がしました。
まぁ、オーダーの仕方が悪かったという噂もありますが(笑)
本当に過ごしやすい環境で、今まで参加した、シドニー・アテネよりも良かったと思いますよ。
そうそう、北京でちょっとした怖い出来事が・・・
ワンフーチン?とか言うところに、お土産を買いに行ったんです。
日本で言うところの新宿っていったところでしょうかね?
歩行者天国になっているところをきゃっするとチームメイトのサトシが歩いていると、
怪しげなロジを発見!
興味本位に入っていくと、サソリやトカゲ?の串焼きなどが売っているんです。
さらに奥に進むと、小さなお土産屋さんがたくさん並んでいました。
そこには、絶対に売れそうも無い商品がズラリと並んでいたのです(笑)
サトシは、毛沢東の変な時計に興味津々。
その時、一人の女性が、きゃっするたちに声をかけて来たのです。
「ピンない?(日本語で)」※パラリンピックなどの時、なぜかピンバッチが流行るのです。
ピンなんてあっても仕方が無いので、きゃっするはカバンにあったピンを取り出して、その子にあげたのです。
すると、きゃっするたちの周りに、だんだんと人が集まってきたのです。
最初は、「俺たち人気もんだなぁ~」なんて言う、余裕があったのですが、
気がつけば、かなりの人数の中国人に取り囲まれていて、身動きが取れなくなっていました。
さすがに少し怖くなったので、残りのピンを出してその場を立ち去ろうとしたら、
きゃっするの持っていたピンを大勢の中国人が奪いに来たのです。
サトシは、自分で付けていたピンを外されて強奪されていました。。
もう、怖くて怖くて、2人揃ってその場から猛ダッシュで逃げてきましたよ。
しばらくして、怖いもの見たさで、再度、その路地に向かったのです。
すると、サトシが一人の女性に捕まってしまったのです。
それを見たきゃっするは、サトシを置いてけぼりにして、さっさと逃げてきました。
あとで、逃げてきたサトシは、かなりお怒りでしたが。。。(笑)
怖かったけど、とても良い思い出ができた、北京観光でした。
試合の感想などは、Road to … Beijing 2008で!
北京から無事に帰って来ましたよ~~~!
北京に行く前から、日本で色々報道されていましたが、それほど不便なことも無く、
快適に過ごせました。
ただ、やっぱり空気がねぇ~~。
きゃっするは、気管支が弱いので、すぐに喉が反応するんですよ。
試合会場の体育館、練習会場の体育館では、咳にならない咳?を何度もしていました。
そして、その後に必ず頭痛が。。。でも、意外と外は大丈夫でしたけど。。なぜかな??
食事は選手村内での食堂で取っていましたが、こちらは何の問題もありませんでした。
というか、凄く美味しかったですよ。
きゃっするが好んでよく食べたのは、スモークチキン。
これをサラダの上に乗せて食べるんです。しかも持参したポン酢をかけてね。。
あとは、シュウマイとか、北京ダックとかもよく食べましたね。
でも、試合期間中は体重オーバーにならないように、野菜中心で過ごしていました。
そのせいか、帰国後の体重が1㎏近く減っていましたよ(驚)
あとは、マクドナルドにマックカフェも利用しましたねぇ。
マクドナルドではマックサラダを、マックカフェではアイスコーヒーをよく頼みました。
一度だけ外にご飯を食べに行ったのですが、選手村の方が美味しかった気がしました。
まぁ、オーダーの仕方が悪かったという噂もありますが(笑)
本当に過ごしやすい環境で、今まで参加した、シドニー・アテネよりも良かったと思いますよ。
そうそう、北京でちょっとした怖い出来事が・・・
ワンフーチン?とか言うところに、お土産を買いに行ったんです。
日本で言うところの新宿っていったところでしょうかね?
歩行者天国になっているところをきゃっするとチームメイトのサトシが歩いていると、
怪しげなロジを発見!
興味本位に入っていくと、サソリやトカゲ?の串焼きなどが売っているんです。
さらに奥に進むと、小さなお土産屋さんがたくさん並んでいました。
そこには、絶対に売れそうも無い商品がズラリと並んでいたのです(笑)
サトシは、毛沢東の変な時計に興味津々。
その時、一人の女性が、きゃっするたちに声をかけて来たのです。
「ピンない?(日本語で)」※パラリンピックなどの時、なぜかピンバッチが流行るのです。
ピンなんてあっても仕方が無いので、きゃっするはカバンにあったピンを取り出して、その子にあげたのです。
すると、きゃっするたちの周りに、だんだんと人が集まってきたのです。
最初は、「俺たち人気もんだなぁ~」なんて言う、余裕があったのですが、
気がつけば、かなりの人数の中国人に取り囲まれていて、身動きが取れなくなっていました。
さすがに少し怖くなったので、残りのピンを出してその場を立ち去ろうとしたら、
きゃっするの持っていたピンを大勢の中国人が奪いに来たのです。
サトシは、自分で付けていたピンを外されて強奪されていました。。
もう、怖くて怖くて、2人揃ってその場から猛ダッシュで逃げてきましたよ。
しばらくして、怖いもの見たさで、再度、その路地に向かったのです。
すると、サトシが一人の女性に捕まってしまったのです。
それを見たきゃっするは、サトシを置いてけぼりにして、さっさと逃げてきました。
あとで、逃げてきたサトシは、かなりお怒りでしたが。。。(笑)
怖かったけど、とても良い思い出ができた、北京観光でした。
試合の感想などは、Road to … Beijing 2008で!


