2008年06月27日
バリアフリー
どうも、きゃっするです。
車椅子で困ることはありますか?など、学校講演に行った時など、よく質問されます。
車椅子で困ること・・・
例えば、
階段などの段差には困るし、デパートなどの通路が狭いとか。
あとは、車椅子用のトイレが少ないとか、車椅子用の駐車場に一般の方が止めているとか。。
まぁ、困ることは結構あるとは思いますが・・・。
でも、アメリカなどに行ったとき、今挙げた例はほとんど解決されちゃうんですよ。
階段などの段差は、ちょっと遠回りになるけど必ずスロープはあるし、
デパート(ショッピングモール)などは、めちゃめちゃ通路が広いし、
車椅子用のトイレが無くても、一般用のトイレのスペースが広いので、車椅子のまま入れるし、
車椅子専用の駐車場には、一般の人が止めたら、罰金500ドルとか書いてあるので、誰も止めないんです。
まぁ、きゃっするの場合、日本であっても、
階段(段差)があっても行きたいところには、誰かに担いでもらっても行くし、
デパートの通路が狭くても、強引に行くし、
車椅子のトイレが無くても、一般のトイレの隅っこで用をたすし、
車椅子用の駐車場に一般の人が止めていたら、ガン見してプレッシャーをかけるし。。
※車椅子用は運転者本人じゃない場合もあるので、結構、文句が言いづらい部分はありますが。。
話しは少し変わりますが、きゃっするがオーストラリアへ行ったときの事。
段差があって立ち往生していると、どこかのおじさんが寄ってきて、「May I help you?」と
声をかけてくれて、「OK、OK」なんて、訳わからないことを言っていたら、その場にいた通行人に声をかけ、3人ぐらいできゃっする達を担ぎ上げてくれたのです。
当たり前のように声をかけ、行動するオーストラリアのおじさんたちに感動したことがありました。
そして、日本で経験した事。
急な坂道を車椅子で一生懸命漕いでいると、突然加速し、車椅子ごとひっくり返りそうになったのです。
後ろを見たら、どこかの知らないおじさんが、車椅子を押していたのです。
ビックリした、きゃっする、思わず、「危ねぇな!!」と言ってしまいました。
だってね、声もかけずにいきなりですよ!
そのおじさんは良かれと思ってやってくれた事なのかも知れないけど、こっちは転びそうになったんですから。。
この違いは、なんなんでしょうかね??
どちらも、「お手伝いしてあげたい」という気持ちはあると思いますが、とりあえずなんでも自分でやりたいきゃっするは、やはり声をかけてもらいたい。
「何かお手伝いしますか?」その一言があれば、「大丈夫です!」と笑顔で応えられるし。。
まあ、きゃっするみたいなタイプもいれば、そうじゃないタイプの人もいますからね。
でも、「何かお手伝いしますか?」の一言があれば、どちらのタイプの人にも対応できるはずです。
もしどこかで、障害を持っている人が困っているのを見かけたら、まずは「何かお手伝いしますか?」という声をかけてあげてほしいと思います。
車椅子で困ることは確かにたくさんあるかもしれない。
でも、人の心(気持ち)でなんとでもなってしまうこともあると思います。
「心のバリアフリー」という言葉がありますが、これは健常者側に対して向けられることがほとんどだと思います。
しかし、障害を持った人にも少なからず、「心のバリア」はあると思います。
その「心のバリア」を解かないと、本当に意味での「心のバリアフリー」にはつながらないのではないでしょうか?
自ら一歩踏み出し、障害者、健常者、お互いが歩み寄ることが、本当の「バリアフリー」になるときゃっするは思います。
車椅子で困ることはありますか?など、学校講演に行った時など、よく質問されます。
車椅子で困ること・・・
例えば、
階段などの段差には困るし、デパートなどの通路が狭いとか。
あとは、車椅子用のトイレが少ないとか、車椅子用の駐車場に一般の方が止めているとか。。
まぁ、困ることは結構あるとは思いますが・・・。
でも、アメリカなどに行ったとき、今挙げた例はほとんど解決されちゃうんですよ。
階段などの段差は、ちょっと遠回りになるけど必ずスロープはあるし、
デパート(ショッピングモール)などは、めちゃめちゃ通路が広いし、
車椅子用のトイレが無くても、一般用のトイレのスペースが広いので、車椅子のまま入れるし、
車椅子専用の駐車場には、一般の人が止めたら、罰金500ドルとか書いてあるので、誰も止めないんです。
まぁ、きゃっするの場合、日本であっても、
階段(段差)があっても行きたいところには、誰かに担いでもらっても行くし、
デパートの通路が狭くても、強引に行くし、
車椅子のトイレが無くても、一般のトイレの隅っこで用をたすし、
車椅子用の駐車場に一般の人が止めていたら、ガン見してプレッシャーをかけるし。。
※車椅子用は運転者本人じゃない場合もあるので、結構、文句が言いづらい部分はありますが。。
話しは少し変わりますが、きゃっするがオーストラリアへ行ったときの事。
段差があって立ち往生していると、どこかのおじさんが寄ってきて、「May I help you?」と
声をかけてくれて、「OK、OK」なんて、訳わからないことを言っていたら、その場にいた通行人に声をかけ、3人ぐらいできゃっする達を担ぎ上げてくれたのです。
当たり前のように声をかけ、行動するオーストラリアのおじさんたちに感動したことがありました。
そして、日本で経験した事。
急な坂道を車椅子で一生懸命漕いでいると、突然加速し、車椅子ごとひっくり返りそうになったのです。
後ろを見たら、どこかの知らないおじさんが、車椅子を押していたのです。
ビックリした、きゃっする、思わず、「危ねぇな!!」と言ってしまいました。
だってね、声もかけずにいきなりですよ!
そのおじさんは良かれと思ってやってくれた事なのかも知れないけど、こっちは転びそうになったんですから。。
この違いは、なんなんでしょうかね??
どちらも、「お手伝いしてあげたい」という気持ちはあると思いますが、とりあえずなんでも自分でやりたいきゃっするは、やはり声をかけてもらいたい。
「何かお手伝いしますか?」その一言があれば、「大丈夫です!」と笑顔で応えられるし。。
まあ、きゃっするみたいなタイプもいれば、そうじゃないタイプの人もいますからね。
でも、「何かお手伝いしますか?」の一言があれば、どちらのタイプの人にも対応できるはずです。
もしどこかで、障害を持っている人が困っているのを見かけたら、まずは「何かお手伝いしますか?」という声をかけてあげてほしいと思います。
車椅子で困ることは確かにたくさんあるかもしれない。
でも、人の心(気持ち)でなんとでもなってしまうこともあると思います。
「心のバリアフリー」という言葉がありますが、これは健常者側に対して向けられることがほとんどだと思います。
しかし、障害を持った人にも少なからず、「心のバリア」はあると思います。
その「心のバリア」を解かないと、本当に意味での「心のバリアフリー」にはつながらないのではないでしょうか?
自ら一歩踏み出し、障害者、健常者、お互いが歩み寄ることが、本当の「バリアフリー」になるときゃっするは思います。
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仕事柄、お年寄りに接する時、「あんたには私の気持ちがわからない」
と言われる事がよくあるのですが、お互い意思疎通が出来ている事もあり
私の気持ちを話したり、行動する事によって、スムーズに介助ができます。
外出すると、手を貸してよいのかどうか迷う事があるのも事実です。
「手を出すな」オーラが出ているときもありますから。。。
基本的には、見守り、必要性を察知したら、声がけから始めますが。。。
(緊急の時は、声と手が一緒にでます。)
介護の基本は声がけ、見守りからです。
一般の方であれ、障害を持つ方であれ、お年寄りであれ、私は同じ同士だと思っているので、自然にお互いに助け合う事があたり前だと思うのです。
私自身も、人に助けられ生かされているのですから。。。