2008年05月09日
きっかけは1本のビデオから。。
どうも~、きゃっするです。
今回は、きゃっするがプロサッカー選手を目指すきっかけについて、聞いてもらいましょう!
小学校2年生で始めたサッカーでしたが、実はそれほど、サッカーが好きだった訳ではなかったんですよ。
その当時は、巨人ファンの父親の影響で野球が大好きでした。
しかし、地元の野球チームに入れてもらおうとしたら、「3年生からじゃないと入れないから。。。」と言われてしまい、その時点で、「もう、野球はもういいや~」と思ったのです。
ちょうど、その後すぐに、2つ上の姉の担任の先生がサッカーの顧問で、その先生に「お前、足速いんだって?サッカーやらないか??」と誘われ、なんとなくサッカーを始めたんです。
これがサッカーとの出会いです。
でもここで・・・!
もしあの時、すんなり野球チームに入ることができていたらどうだったでしょうか?
もしかしたら、サッカーと出会うことは無かったかもしれませんよね!?
この一つの出来事すらも、きゃっするは出会いだと感じているのです。
そんな訳で、最初はなんとなく始めたサッカーでしたが、徐々にサッカーの持つ魅力に引かれ、上手くなりたいという「向上心」が芽生え、いつしか地元の選抜チームに選ばれるようになったのです。
そして、5年生の時、運命的な出会いが訪れたのです。
1982年、ワールドカップスペイン大会が行われていたこの時期、今みたいに衛星放送もビデオもあまり無かった頃、友達の家にワールドカップのビデオを見に行くことになったんです。
その時の試合が「西ドイツvsポーランド」でした。
当時は海外の試合を見ることはほとんどできず、せいぜい日韓定期戦かトヨタカップくらいでしたからね(笑)。
※関東地方ではダイヤモンドサッカーというのがありましたが、これもこの友達の家でビデオを見せてもらった記憶があります。
その西ドイツvsポーランドの試合を食い入るように見ている時、小さな体でスイスイとドリブルですり抜ける、西ドイツの背番号7番、「リトバルスキー」の姿がありました。
そう、後にジェフで一緒にプレーすることになる、リッティー(愛称)です。
ポーランドの屈強なディフェンス陣をドリブルで抜いていく姿に、「すげぇ~、かっこいい」と感動し、自分もあんな風になりたいなと思ったのです。
毎月買っていたサッカーマガジンの付録が、リトバルスキーのポスターで、それを自分のベッド(2段ベットの上)の天井に貼り付け、毎日そのポスターを見ながら、練習で使った汚いボールを足で触りながら寝ましたよ(笑)
その頃、日本には今みたいにJリーグは無く、プロになるには海外に行くしかありませんでした。
リトバルスキーの影響や奥寺康彦さんがブンデスリーガーでプレーしていたという事もあり、「将来、西ドイツでプロのサッカー選手になりたい!」という夢をその時初めて持ったのです。
それから、8年後。
Jリーグ、ジェフユナイテッド市原とプロ契約を交わし、小学校5年生の時から思い続けた夢が現実のものになったのです。
それにしても、あの時の1本のビデオから、プロサッカー選手を目指すことになるとは・・・
本当、人生どこで何が起こるかわかりませんね~~。
今回は、きゃっするがプロサッカー選手を目指すきっかけについて、聞いてもらいましょう!
小学校2年生で始めたサッカーでしたが、実はそれほど、サッカーが好きだった訳ではなかったんですよ。
その当時は、巨人ファンの父親の影響で野球が大好きでした。
しかし、地元の野球チームに入れてもらおうとしたら、「3年生からじゃないと入れないから。。。」と言われてしまい、その時点で、「もう、野球はもういいや~」と思ったのです。
ちょうど、その後すぐに、2つ上の姉の担任の先生がサッカーの顧問で、その先生に「お前、足速いんだって?サッカーやらないか??」と誘われ、なんとなくサッカーを始めたんです。
これがサッカーとの出会いです。
でもここで・・・!
もしあの時、すんなり野球チームに入ることができていたらどうだったでしょうか?
もしかしたら、サッカーと出会うことは無かったかもしれませんよね!?
この一つの出来事すらも、きゃっするは出会いだと感じているのです。
そんな訳で、最初はなんとなく始めたサッカーでしたが、徐々にサッカーの持つ魅力に引かれ、上手くなりたいという「向上心」が芽生え、いつしか地元の選抜チームに選ばれるようになったのです。
そして、5年生の時、運命的な出会いが訪れたのです。
1982年、ワールドカップスペイン大会が行われていたこの時期、今みたいに衛星放送もビデオもあまり無かった頃、友達の家にワールドカップのビデオを見に行くことになったんです。
その時の試合が「西ドイツvsポーランド」でした。
当時は海外の試合を見ることはほとんどできず、せいぜい日韓定期戦かトヨタカップくらいでしたからね(笑)。
※関東地方ではダイヤモンドサッカーというのがありましたが、これもこの友達の家でビデオを見せてもらった記憶があります。
その西ドイツvsポーランドの試合を食い入るように見ている時、小さな体でスイスイとドリブルですり抜ける、西ドイツの背番号7番、「リトバルスキー」の姿がありました。
そう、後にジェフで一緒にプレーすることになる、リッティー(愛称)です。
ポーランドの屈強なディフェンス陣をドリブルで抜いていく姿に、「すげぇ~、かっこいい」と感動し、自分もあんな風になりたいなと思ったのです。
毎月買っていたサッカーマガジンの付録が、リトバルスキーのポスターで、それを自分のベッド(2段ベットの上)の天井に貼り付け、毎日そのポスターを見ながら、練習で使った汚いボールを足で触りながら寝ましたよ(笑)
その頃、日本には今みたいにJリーグは無く、プロになるには海外に行くしかありませんでした。
リトバルスキーの影響や奥寺康彦さんがブンデスリーガーでプレーしていたという事もあり、「将来、西ドイツでプロのサッカー選手になりたい!」という夢をその時初めて持ったのです。
それから、8年後。
Jリーグ、ジェフユナイテッド市原とプロ契約を交わし、小学校5年生の時から思い続けた夢が現実のものになったのです。
それにしても、あの時の1本のビデオから、プロサッカー選手を目指すことになるとは・・・
本当、人生どこで何が起こるかわかりませんね~~。
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自分もあの場できゃっする氏に誘ってもらえてなかったら…もしあの場にいってなかったら…と思います。
とっても不思議で素敵です、きゃっするさんのいう出会いって。
これからも多くの出会いがあると思いすが、出会いはチャンスですからね!
見逃さないように!!